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特徴

  • DINメトリックタップ

仕様

  • 入数:1個
  • セットタイプ:ハンドタップ
  • 最大タップサイズ:M8
  • 最小タップサイズ:M8
  • 個数:3
  • 材質:HSS
  • セット内容:テーパータップ、セカンドタップ、プラグタップ
  • RoHS適合状況:該当なし
  • コード番号:509-0058

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 大下宇陀児の短篇「亡命客事件」を読む。湘南探偵倶楽部さんの一冊。

 小さな温泉町で春から夏にかけて湯治をしていた“私”は、支那から亡命していた洪さんと知り合いになるが、あるとき列車で出かけたまま行方不明となる。
 その後、渓谷から首のない死体が発見された、所持品から洪さんだと推測された。実は洪さんは支那の反対派から賞金をかけられており、刺客がその証拠に首を持っていったものと思われた。
 しかし、友人の弁護士・俵には、違う見方があった。洪さんの所持金を狙った犯人が、支那からの刺客の仕業に見せかけて洪さんを殺害したのではないかというのだ。やがて洪さんと“私”の泊まっていた温泉宿の主人が容疑者として逮捕されるが……。

 

 これは面白かった。ガチガチの本格、しかもいわゆる“首のない死体”ものである。今のミステリファンには“首のない死体”ものというだけで、犯行の構図は読めてしまうだろうが、当時としては十分だろう。
 ふたを開ければ真相自体はシンプルなのだが、構成が上手く、重要な情報をタイミングよく提示することで、その度に事件の様相を変えてみせる。次々と局面が変わる、といえば大袈裟だが、とにかく読者をまったく飽きさせない工夫がいい。
 探偵役・俵の苦悩や、語り手の“私”の後悔といった味付けもうるさくならない程度に加え、ストーリーにも膨らみも持たせているし、オチもきれいだ。

 唯一、温泉宿の主人の容疑をどうやって晴らしたかについては詳しい説明がなく、そこだけが残念。その部分さえきれいに決めていれば十分傑作といえただろう。とはいえトータルではアンソロジーなどに採られてもよいレベルで、これはおすすめ。


 読書系サイトやSNSで気になる本はある程度は押さえているつもりだが、それでも何かの拍子でまったくアンテナに引っかからない作家や作品がある。本日の読了本『やんごとなき読者』もそうした一冊で(ミステリではないけれども)、白水社から単行本で刊行された当時はもちろん、昨年に白水Uブックス版が出たときも見事にスルーしている。
 誰も知らないようなマイナーな本ならしょうがない。だが、読後にネットで調べると、これがまた当時はけっこう評判だったりする。それなのに気づかない。そして何年もしてから、ヘタをすると何十年もしてから、何かの拍子に、その本の存在を知るのである。
 まあ読書好きならよくある話かとも思うが、悔しいので、こういう現象は神様が読みどきを教えてくれているのだと考えるようにしている。こちらがその本を受け入れられるような精神的体勢が整うまで、あるいは成長するまで、本が待ってくれているという解釈だ。まあ、なんてメルヘンチック(笑)。

 どうでもいい枕はこのぐらいにして。
 本日の読了本、アラン・ベネットの『やんごとなき読者』の感想に入る。まずはストーリー。

 ある日、愛犬の追いかけてウィンザー城の裏庭へやってきた英国の女王陛下。そこでたまたま巡回していた移動図書館の車と、本を借りようとしていた厨房で働く少年に出会う。特に興味はなかったが、図書館の担当者と話した手前、礼儀上一冊ぐらいは借りないと申し訳ないと思った女王陛下。その一冊をきっかけに読書の楽しさに目覚めた女王陛下だったが……。

 

 ああ、これはよい。特に大きな事件もなく、女王が読書の魅力にハマっていく様をさらっと描くだけの小説がこんなに染みるとは。
 確かに大きな事件などはないのだが、それでも女王陛下という立場上、読者に時間を取られることでその影響が周囲にさざなみのように広がっていく。その結果、側近たちが何かと振り回される様子がユーモラスで楽しい。何より、なぜ読書は楽しいのかということを、女王がステップアップしていく様子と絡めて見せてくれ、これもまた読書好きにはたまらないところだろう。

 ただ読書の楽しさだけを語っただけの小説かというと、実はその裏で意外に深刻なテーマも孕んでいるように思える。それは女王が読書によって成長することで、女王という存在の歪さや問題点も浮き彫りにしていること。全体にソフトでユーモラスな雰囲気に包まれてはいるが、こういうビリッとした風刺的な視点があるから油断できない。

 そして、それらすべてを踏まえての、ラスト2行のセリフ。そこに込められた女王陛下の決意に思わず心が震えた。お見事。



 英国の作家ビアトリクス・ポターが生んだピーターラビット。その物語が出版されて今年で120周年ということで、世田谷美術館で「出版120周年 ピーターラビット展」が開催されており、本日、足を運んでみた。


▲世田谷美術館は砧公園内にあって、鑑賞後の散歩も悪くない。まあ、本日は雨でしたが。

 展示内容としては、ピーターラビット誕生から出版までの道のり、その後のブレイクの様子や著者自らが監修したグッズ展開に至るまでを、原画や現物と共に理解するというもの。
 個人的にはマニアというほどではないが、原作は一応すべて所持して読んでいるし、映画化作品はもちろんバレエ作品や著者の伝記や著者自身の障害を映画化したものもひと通り押さえている。埼玉県のビアトリクス・ポター資料館や何年か前にあった「ビアトリクス・ポター生誕150周年ピーター・ラビット展」なども見学済みなので、まあ、そこそこファンと言ってもいいだろう。
 だから展示会などで許可されるような原画などはある程度見たことはあるはずだが、けっこう初見のものも多くて十分に楽しめた。とりわけ面白かったのはピーターラビットのグッズ展開に対し、ポター自身がかなり乗り気だったことで、ボードゲームとかも自分でデザインはもちろん内容も企画しており、そのサンプルが展示してあるのはなかなか興味深かった。





 なお、中は撮影禁止だが、一部、撮影コーナーが何箇所か設けられていて、女性ファンがひっきりなしに撮影しておりました(その中に混じっているオッサンの自分はなんなんだろう(笑))


▲お土産はお約束の図録。相当なボリュームで2700円弱だからこれはお得。


 湘南探偵倶楽部さん発行の小冊子から大河内常平の短篇『海底の情鬼』を読む。
 相模灘に面した小さな漁村に似つかわしくないコンクリート造りの別荘があった。主人は東京の資産家の跡取り息子・隆次郎。彼は村人とは関係を持たず、通いの老婆、雑用係の漁師・徳治という若者だけを雇い、専ら魚類の研究に没頭していた。だが、そんな隆次郎の元に許嫁・冴子がやってきたばかりに、彼らの運命は大きく狂い始める……。

 

 冒頭で隆二郎の死と、その容疑者が徳治であると語られる。だが、その裏にはどのような事情があったのか、徳治が隆二郎に雇われた頃から物語は巻き戻される。
 ひと言でいえば魚類研究者の狂気を描いたスリラーで、話自体はシンプルな復讐譚だ。しかし魚類研究者・隆次郎のねじれ具合というか、ぶっちゃけ海底に沈む死体を愛撫するというイメージが鮮烈すぎて、短いながらも読み応えあり。やはり大河内常平は面白いな。

 なお、読後にネットで調べてみると、本作は盛林堂ミステリアス文庫から刊行された『人造人魚』にも収録されているようだ。なんだ、そっちも持ってるじゃないか。こりゃ積ん読のバチが当たったか(苦笑)。というか論創ミステリ叢書の『大河内常平探偵小説選』も積んでいるし、そろそろ消化する頃合いなのかな。


 本日の読了本はE・C・R・ロラックの『殺しのディナーにご招待』。まずはストーリーから。

 ロンドンのフランス料理店〈ル・ジャルダン・デ。ゾリーヴ〉に集まった八人の男女。彼らに送られた招待状によると、ハイクラスの紀行作家の親睦団体〈マルコ・ポーロ・クラブ〉での入会が認められたという。しかし、それは主宰を騙ったトローネという男による悪戯であることがわかり、集まった者たちは仕方なくディナーだけを楽しむことにする。
 ディナー終了後、いろいろあったにせよ無事にディナーが終了したことに安堵する店主のアンリ。ところが店内を巡回しているとき、配膳代の下に転がっているトローネの死体を発見する……。

 

 ロラックはこれまで六作ほど読んでいる。いずれもそれほど悪くはないのだが、突出したところもないのが正直なところ。本格ミステリとしての結構や要素は十分に備えているし、人物描写なども丁寧で巧いと思うのだが、如何せん、これだという決定力に欠けるのが惜しい。

 そこで本作だが、まあ、導入や設定は悪くない。
 面識はないけれども互いに名前ぐらいは知っている業界人が八名。彼らが続々とディナー会場のレストランに現れる場面は、クリスティの代表作を例に挙げるまでもなく、ミステリではお馴染みのオープニング。そこに被害者と犯人を含む重要人物全員が登場していることはお約束であり、いやが上にも期待感を膨らませてくれる。
 しかもその直後に肝心の主催者が殺されており、掴みは十分といえるだろう。

 だが、その後がちょっといただけない。マクドナルド警部の捜査とは別に、ディナー参加者たちも独自に調査や推理する展開になるのだが、ストーリーにいまひとつキレがない。せっかくディナー参加者を八名も揃えておきながら、肝になる人物はごく少数に限られ、せっかくのオープニングも尻すぼみになっている感じだ。
 人物描写にしても同様だろう。肝になる数名以外は、いかにも頭数合わせというレベルで、ミステリの質的向上にはあまり貢献していない。いつもなら人間描写だけは期待を裏切らないロラックだけに、本作のイージーな書き分けはちょっと残念だった。

 まとめ。導入や設定だけでなく、犯行動機の背景だったり真相もそれなりに面白かったので、惜しい作品ではある。特に中盤以降のストーリーの膨らみや描写にもう少し工夫していれば、もっと印象深い作品になった気はする。決定力、例えば強烈なトリックや度肝を抜く真犯人などは端から期待していないので、せめて完成度は高めてほしかったというのが率直なところだ。



 『或る光線 木々高太郎科学小説集』を読む。木々の科学小説を中心にまとめた短篇集の復刻である。まずは収録作。

「或る光線」(脚本)
「跛行文明」
「蝸牛の足」
「糸の瞳」
「債権」
「死人に口あり」
「秋夜鬼」
「実印」
「封建性」
「親友」

 

 木々高太郎がこんなに科学小説を書いていたとは知らなかったが、医学者でもある木々のことなので、考えるとそこまで不思議ではない。ただ、読んでみると実際には収録作すべてが科学小説ではないし、科学小説であってもいわゆるSF風味はそれほど強くはない。科学を題材にした広義のミステリを含む探偵小説集といった感じである。

 たとえば冒頭の表題作「或る光線」では、戦争中に開発された殺人光線を扱っている。海野十三あたりがそんなガジェットを扱った日には、血湧き肉躍る国威高揚冒険ものしか想像できないが、木々は慌てず騒がず。あくまで文明批判の手段として描き、クールな防諜ものにまとめている。続く「跛行文明」も同様で、決してSF的な興味ではなく、やはり文明批判的にアプローチする。この二作は探偵小説芸術論を打ち出した著者らしく、メッセージ性やテーマに重きを置いた作品といえるだろう。
 とはいえ以後の作品はシリーズ探偵の志賀博士や大心池先生が登場し、比較的エンタメ度が高いものが並ぶ。特に「債権」などはアンソロジーに収録されることも多い佳品だし、「死人に口あり」のようなバカトリック作品もそれはそれで面白い。
 ノンシリーズも悪くない。「秋夜鬼」は掌編ながら味わいで読ませる怪談。「実印」もトリックこそひどいけれど(苦笑)、ラスト五行が効いていて捨て難い作品である。

 ということで嬉しい誤算といっては失礼だが、アベレージも高くなかなか楽しめる一冊であった。


 カーター・ディクスンの『騎士の盃』を読む。H・M卿(ヘンリー・メリヴェール卿)もの最後の作品である。まずはストーリーから。

 マスターズ警部の元へ相談にきたブレイス卿夫人のヴァージニア。彼女は夫のトムとテルフォード館で暮らしており、家には十七世紀に作られた「騎士の盃」が代々伝わっていた。普段は銀行の金庫に保管されているが、その日は展覧会の都合で、テルフォード館の一室に安置されていたという。ところが、厳重に戸締りがされ、しかも夫のトムが夜通し見張っていたその部屋で、盃は何者かによって動かされていた。どうやらトムは薬を盛られたようだが、それにしても盃はなぜ動かされただけで住んだのか。
 マスターズはブレイス夫妻の近所にちょうどH・M卿が住んでいたことから解決を依頼する。ところがH・M卿は歌の練習に忙しく、仕方なくマスターズが自身で夜通し盃の見張りをすることになったのだが……。

 

 H・M卿最後の作品なので何か特別な趣向があるかと思ったが、そういうものは特にないようだ。そもそも著者も別にこれが「最後のH・M卿作品」などと謳っているわけではない。とはいえ本作でのH・M卿も齢八十を越え、ほぼ引退しているような雰囲気はあるので、多少は意識していたかもしれないが、それでもたまたま結果として本作が最後になったということだろう。

 で、そういうフィルターを外してみると、本作の出来としては可もなく不可もなく、いや、可もあり不可もありといったところか。
 「盃がなぜ盗まれなかったのか」という謎の設定は面白い。もちろん「犯人はどうやって盃を動かせたのか」というそもそもの密室ネタはあるのだが、この「犯罪を犯さなかったのはなぜか」という逆動機とも言えるアプローチ。これが明らかになることで、動機や犯人もまた明らかになるのではないかという膨らみがあり、密室以上に魅力的なのである。密室ものとしてはまずまずだろうが、ミステリの可能性を広げるという意味ではなかなか面白い試みだったろう。

 一方で不可の部分。これは個人的な好みもかなり大きいのだが、本筋に関わらないドタバタ・ギャグの部分が多すぎて、正直読み進めるのに苦労した。なんせ本作自体がかなりのボリューム。そこへ来て味付け程度ならともかく本作ではむしろこちらがメインなのではと思うぐらい延々と続くわけである。実際、百ページぐらい読んでもほとんどストーリーの進行はないぐらい。これに耐えられるのは、真のカーファンだけと言えるだろう(苦笑)。

 ということで可と不可の部分いろいろあれども、単なるミステリとしては中の下といったところか。ただしカーのファンであれば、もちろん必読レベルである。



 本日の読了本はカトリーヌ・アルレーの『狼の時刻(とき)』。日本びいきの著者が東京創元社の依頼で書き下ろした作品で、本国に先駆けて刊行されたらしい。

 こんな話。子供の頃からぐれていたロランは、その経験を活かして、殺人とスキャンダルしか扱わない低俗雑誌でライターとして活躍していた。しかも若くして自分の美貌をエサに女性から貢がせることまで覚え、今はビアンカという二十歳も年上の女性に取り入っていた。
 ある日、ロランがビアンカの愛犬(テリヤ)を散歩させていると、やはりそばで散歩をしていた会社社長ピエールの愛犬(シェパード)に噛み殺されてしまう。止める暇がなかったと釈明するロランだが、ビアンカはまったく聞く耳を持たない。ロランは家を追い出され、頭にきた彼はピエールを銃殺してしまう。
 ここで困ったのはピエールの妻ポリーヌと、ピエールの部下アランだった。二人は不倫関係にあり、かねてからピエール殺害を目論んでいたのだ。しかし、いま警察に調べられると動機はすぐにバレるし、アリバイもない。自分たちもピエールに死んでもらいたかったが、決して今ではなかったのだ……。

 

 もうドロドロ。さすがアルレーである。
 アルレーといえば基本的にはサスペンス作家で、とりわけ悪女ものの書き手として知られている。とはいえSFもどきのけっこう変な話も書いていたりもするので、本作はどう出るのかと思っていたら、直球ど真ん中のイヤミスであった。五人ほどの登場人物が揃いも揃ってダメな人間ばかりで、その全員が破滅するまでをネチネチと描く。
 きっかけはペットのいざこざである。これがなかなか金銭で割り切れない面倒なトラブルだから、それが事をややこしくする。しかも先述のとおり全員が倫理観の薄い人物ばかり。あえてやっているわけではないが、やることなすこと裏目に出て、事態を見事に泥沼化させ、ついには殺人に発展させてしまう。

 特に謎解きというものもなく、読者はひたすら愚か者たちの転落する様を味わえばよい。ただ、イヤミス系の話であっても、アルレーの描写の巧さなのだろう、変に感情移入することなくさらっと読める。登場人物の愚かさと悪さと悲惨さを外から客観的に眺めることができるわけで、どろどろではあっても意外に口当たりは悪くないのだ(とはいえ人によってかなり好き嫌いは出るだろうが)。
 また、フランスミステリにおけるサスペンスというと、どうしても心理的なタイプを思い浮かべるが、本作に関してはむしろノワールの味わいが強い。とりわけ主人公格のロランの破滅的キャラクターは実に興味深く、こういう輩と関係を持つこと自体が不運というか自業自得というか、ちょっとジム・トンプスンの諸作品を連想した。

 なお本作は1990年、アルレーが六十六歳のときの作品で、これ以後に作品は発表されていないが、現在の年齢や病気なども考慮すると、本作がおそらく最後の作品になる可能性は高い。



 笹沢左保の『真夜中の詩人』を読む。なんと誘拐もので、『本格ミステリ・フラッシュバック』にも取り上げられていた著者の代表作の一つ。誘拐ミステリにはなんとなく佳作傑作が多い気がするが、本作もその例に漏れない。

 こんな話。老舗デパート「江戸幸」社長の孫・三津田和彦が誘拐されるという事件が起こる。和彦はまだ生後十二ヶ月ほどの幼児。しかし、犯人からの連絡はあったものの、なぜか身代金などの要求はなかった。程なくして今度は普通のサラリーマン夫婦の息子・浜尾純一が誘拐される。純一も生後11ヶ月ほどであり、犯人からの連絡はあったものの、やはり身代金の要求などはなかった。
 警察は同一犯の犯行と推測するが、手がかりはほとんどない。純一の母尾・真紀は、和彦の母親と被害者同士で相談をするが、その矢先、真紀の母親が轢き逃げによって死亡してしまう……。

 

 母親が子供を取り返したい一心で自ら事件を調査するというのがメインストーリーで、アプローチそのものはかなりオーソドックス。とはいえ一介の主婦にすぎない主婦・真紀が、警察や探偵事務所等の手をほぼ借りずに調査を進めるというのは、かなり無理のある設定だろう。
 だが、そこは著者も考えているようで、あくまで素人ができることの範疇に収めており、素人が悪戦苦闘や挫折する様子、周囲の人間とギクシャクしていくところなども描いており、かなり納得感はある。何より息子を思う母親の気持ちに引っ張られて、かなりのボリュームの作品ではあるがリーダビリティは非常に高い。

 アイデアも面白い。ほとんど手がかりがない状態で、どうやって犯人を見つけ出し、子供を取り返すのか。ミステリとしてはもちろんこれが最大の興味ではあるのだが、謎解きものとしてはむしろ「なぜ誘拐犯は何も要求しないのか?」であろう。このアイデアがあるからこそ本作は佳作たりうる。
 さらには中盤過ぎに思いもかけない展開があり、これがまた読者を惑わせて楽しい。ネタバレゆえどういう展開かは読んでからのお楽しみというところだが、これこそが終盤にかけての大きなターニングポイントでもある。ラストではそれまでの謎が一気に収束され、その手際も実にお見事。

 ただ、惜しいところもないではない。それは主人公・真紀の夫や妹の人物造形である。息子を誘拐された家族にしては、かなり真紀に対して冷淡だったり、理解が足りない感じがするのだ。
 特に夫はひどい。妻が誘拐された息子を探そうというのに、まったく協力しないのである。そういう反応によって物語を転がしていくという、ストーリー上の都合なのは理解できるけれども、これはあまりに極端だ。最初はてっきり夫が誘拐に一枚噛んでいるのかと思うほどだし、終盤でようやく協力的になると、逆にこれは何かの罠なのではないかと思うほどだ。
 個人的にはこの点が非常に気になってしまい、そのため本作は佳作とは言えるけれども、傑作とは言えないかな
と思った次第である。



 ピエール・ヴェリーの『絶版殺人事件』を読む。著者は『サンタクロース殺人事件』で知られるフランスのミステリ作家で、本書は初めて書いた長編ミステリとのこと。

 イングランド東部ニューマーケットでのこと。ある人物がカーブで速度を落とした列車に本と手紙を投げ入れ、その後、首を吊ってしまうという出来事が起こる。
 その三年後。スコットランドの港町に停泊するアルデバラン号で毒殺事件が起こった。船長とその友人夫妻による痴情のもつれの結果の犯行かと思われたが、意外にも捜査は難航し、たまたま同地を訪れていた謎解きマニアのトランキルという男が警察を手伝うことになり……。

 

 これはまたなんと言いますか。本作ではプロローグこそ意味深だが、基本的には二つの殺人事件を軸に警察と探偵役の捜査と推理で物語が進み、最後にはしっかりした謎解きがあって大団円を迎える。原作の刊行年も1930年と、まさに本格探偵小説黄金期。結構をとっても要素をとっても文句なしの本格ミステリといっていいはずなのだが、どこか違和感がある。
 具体的にそう感じるポイントを挙げてみよう。たとえばフランスの作品なのにスコットランドを舞台にし、登場人物もほぼ英国人であるということ。ポアロを少し彷彿とさせる、だがそれ以上に奇矯な変人を探偵役にしていること。探偵役以外の登場人物もかなりカリカチャアされていること。二つの殺人事件の関連性。犯人の動機などなど。
 一つひとつを見ていくとそこまで気にするところではないのだが、それらが合わさることで独特のユーモアや雰囲気を醸し出している。それが通常の英米の本格ミステリとは異なる違和感に繋がったのだが、そこでふと思いついたのが、これはつまりパロディなのではないかということ。当時、英米で発展を遂げた本格探偵小説というものに対するパロディ作品である。
 意図的なものかどうかはわからない。しかし、著者はのちに『サンタクロース殺人事件』という、これまたファンタジックなミステリも書いたぐらいなので、パロディというつもりはなかったにせよ、従来の探偵小説とは違うアプローチを試みたことは想像に難くないだろう。

 ということで最初に違和感と書いた部分、それらを込みで楽しむのが本作の味わい方といえるだろう。本格ミステリに対するアンチな部分も意外に漂っていたりして、このクセをこそ楽しみたい。
 ただ、そういうところを抜きにして、普通の本格ミステリとして読んでも、割と楽しめることは最後に付け加えておきたい。
 



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