笹沢左保の『真夜中の詩人』を読む。なんと誘拐もので、『本格ミステリ・フラッシュバック』にも取り上げられていた著者の代表作の一つ。誘拐ミステリにはなんとなく佳作傑作が多い気がするが、本作もその例に漏れない。
こんな話。老舗デパート「江戸幸」社長の孫・三津田和彦が誘拐されるという事件が起こる。和彦はまだ生後十二ヶ月ほどの幼児。しかし、犯人からの連絡はあったものの、なぜか身代金などの要求はなかった。程なくして今度は普通のサラリーマン夫婦の息子・浜尾純一が誘拐される。純一も生後11ヶ月ほどであり、犯人からの連絡はあったものの、やはり身代金の要求などはなかった。
警察は同一犯の犯行と推測するが、手がかりはほとんどない。純一の母尾・真紀は、和彦の母親と被害者同士で相談をするが、その矢先、真紀の母親が轢き逃げによって死亡してしまう……。
母親が子供を取り返したい一心で自ら事件を調査するというのがメインストーリーで、アプローチそのものはかなりオーソドックス。とはいえ一介の主婦にすぎない主婦・真紀が、警察や探偵事務所等の手をほぼ借りずに調査を進めるというのは、かなり無理のある設定だろう。
だが、そこは著者も考えているようで、あくまで素人ができることの範疇に収めており、素人が悪戦苦闘や挫折する様子、周囲の人間とギクシャクしていくところなども描いており、かなり納得感はある。何より息子を思う母親の気持ちに引っ張られて、かなりのボリュームの作品ではあるがリーダビリティは非常に高い。
アイデアも面白い。ほとんど手がかりがない状態で、どうやって犯人を見つけ出し、子供を取り返すのか。ミステリとしてはもちろんこれが最大の興味ではあるのだが、謎解きものとしてはむしろ「なぜ誘拐犯は何も要求しないのか?」であろう。このアイデアがあるからこそ本作は佳作たりうる。
さらには中盤過ぎに思いもかけない展開があり、これがまた読者を惑わせて楽しい。ネタバレゆえどういう展開かは読んでからのお楽しみというところだが、これこそが終盤にかけての大きなターニングポイントでもある。ラストではそれまでの謎が一気に収束され、その手際も実にお見事。
ただ、惜しいところもないではない。それは主人公・真紀の夫や妹の人物造形である。息子を誘拐された家族にしては、かなり真紀に対して冷淡だったり、理解が足りない感じがするのだ。
特に夫はひどい。妻が誘拐された息子を探そうというのに、まったく協力しないのである。そういう反応によって物語を転がしていくという、ストーリー上の都合なのは理解できるけれども、これはあまりに極端だ。最初はてっきり夫が誘拐に一枚噛んでいるのかと思うほどだし、終盤でようやく協力的になると、逆にこれは何かの罠なのではないかと思うほどだ。
個人的にはこの点が非常に気になってしまい、そのため本作は佳作とは言えるけれども、傑作とは言えないかな
と思った次第である。